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シークレットサンタの物語


この物語はクリスマスの時期に聞けるとっても素敵なお話。

アメリカで「シークレットサンタ」と呼ばれる男がいました。
彼の名はラリー・スチュワート。
 

23歳で化粧品会社を設立するも、その年の年末には会社が倒産。借金に追われ、文字通り一文無しになってしまいます。

8日間、飲まず食わずで意識が朦朧としたラリーは、無意識のうちにレストランに入ってしまい、食事をしてしまいます。我に返った時は請求書を出された時。無論お金は持っていません。

なんとかその場を取り繕おうと財布を探すフリをしながらも、警察に突き出されても仕方が無いと思っていた時、店主が肩を叩きます。ラリーは観念すると驚きの言葉を耳にしたのです。

『お客さん、落としましたよ』

店主はそっと20ドル紙幣を目の前に置きました。

ラリーは店主の勘違いだと思い、とりあえずそのお金を受け取り会計を済ませました。

1972年、ラリーは警備会社を設立して今度こそ成功してやろうと思っていました。

警備会社は最初は順調でラリーは結婚して子宝にも恵まれました。

だが成功を夢見て頑張っていた会社は1977年12月に倒産。膨れ上がる借金、またもや無一文となったラリーは我を忘れ、銀行強盗を決意し銃を手に銀行に向かったのです。

銀行に入り、ポケットの中の銃に手をかけた時、目の前の少女が貯金をしようカウンターにお金を出しました。

そこにあったのは1枚の20ドル札。

このときラリーの脳裏には4年前、レストランで受け取った20ドルの事が浮かびました。

ラリーは我に返り、銀行を後にすると、そのままレストランへ向かい店主に聞きました。

『僕のこと覚えていますか。4年前このレストランに来た者です。あの20ドルは・・・』

店主はラリーを見て

『クリスマスは、皆がハッピーになれるんだよ』

と一言だけ言いました。

ラリーは気づきました。

今までは自分が成功することしか考えていませんでしたが、他人に施していこうと決意したのです。

1978年、妻の兄からの援助を受けてセールスマンとして懸命に働きましたが、経営不振のため解雇されてしまいます。

彼が途方に暮れていた時、 ふと目についた売店に立寄りポップコーンを注文すると、 店員の女性は暗い表情で、違う商品とおつりをラリーに手渡した。

ラリーは彼女が困っているのだと思い、おつりの中から20ドル札をプレゼントしたのです。

「メリークリスマス!」
 

驚いた女性の表情は一瞬にして明るくなり、嬉しそうに礼を言ったのです。

その笑顔がラリーをも明るくし、彼は思いも寄らない行動を取ります。

彼はそのまま銀行に行き、失業中にも関わらず、なけなしの全財産を20ドル紙幣に換えました。

そして白いオーバーオールに赤い服とベレー帽という姿で町に繰り出し、困っている人や貧しい人に20ドル札をクリスマスプレゼントとして手渡していったのです。

「シークレットサンタ」の誕生です。

家に戻ると妻から「銀行にお金が残っていないんだけど」と聞かれ、慌てたラリーは「落としてしまった」と答えました。

すると妻は怒るどころか、「仕方がないわね、でもあなたは幸せそうね」と微笑むだけで文句を言いませんでした。

翌年の1980年、ラリーは友人と長距離電話の会社を設立。お金儲けのためではなく、遠く離れて生活している家族のためになればという奉仕の精神で会社を設立したのでした。

そしてその年のクリスマスにもシークレットサンタとして困っている人々に20ドルをプレゼントする活動を続けました。

不思議なことにシークレットサンタとなって施しをすればするほど会社の業績が上がり、長年の切り詰めた生活から抜け出し家族のために家や新しい車を買えるまでになっていきました。

会社はやがて年商10億円の大企業に成長しました。

彼は大富豪になっても、クリスマスになるとシークレットサンタを続けていました。

ラリーの妻も町中でシークレットサンタの噂を耳にするようになったが、 彼は家族にも言っていなかったのです。

彼はそれからも一年も休むことなくシークレットサンタの活動を続けたのだが、9年目の1987年12月、ついに妻にシークレットサンタがラリーであることがわかってしまいました。

すまないと謝るラリーに、妻は

「素敵なことじゃない。これからはもっと節約してたくさんの人を助けられるように協力するわ」

と答え、 以後、家族もラリーの活動を知って陰から支えることになったのです。

2001年には世界貿易センタービル爆破事件のあったニューヨークに行き、ホームレスや職を失った人々に2万5000ドル(300万円)を配り、2005年にはハリケーンで壊滅的な被害を被ったミシシッピ州で7万5千ドル(900万円)を配りました。

こうしてシークレットサンタが27年間で配った総額は130万ドル(約1億5000万円)になっていました。

そしてラリーのシークレットサンタの活動は全米に広がっていったのです。

それまで一切の取材に応じなかったシークレットサンタが、2006年、ついにカメラの前に現れ正体を明かしました。 ラリーは食道ガンのため余命4ヶ月と宣告されていたのです。
 

彼は身近な人への思いやりを広げて欲しいというメッセージを伝えると、それは大きな反響を呼ぶこととなります。

2日間で7000通もの手紙やメールが彼のもとに届き、 大半は自分もシークレットサンタになりたいというものでした。

 

そして2007年1月12日、ラリーは58歳で静かにこの世を去りました。

ラリーが亡くなった年のクリスマス。街にはシークレットサンタが現れました。

それも一人二人ではなく大勢の人が。ラリーの意志を引き継いだ人たちがシークレットサンタになってお金を配っていたのです。

そして今年のクリスマスもきっとシークレットサンタが20ドル札を配っていることでしょう。

「人々に優しくすると私は温かい気持ちになれます。
それは二重の喜びであり、相手のためだけではなく、自分のためにもなるのです。」

彼の想いは今も生きています。

ラリーが設立したシークレットサンタ協会には今でも世界中から登録の申し込みが後を絶ちません。
会員資格は少なくとも1回他人への親切な行為を行うこと。

シークレットサンタ協会
http://secretsantausa.com/

ちなみに、街の人々はラリーがシークレットサンタというのは薄々気づいていたそうですが、あえて誰もそれには触れようとはしなかったようです。暗黙の了解のように全員が知らないふりをしてシークレットサンタを見守っていたのでしょう。

「クリスマスは、皆がハッピーになれるんだよ」

素敵な言葉ですね。

 

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